福島県会津若松市にある「会津・鶴ヶ城」に行ってきました。
そこで私が感じた事、これからの我々にとっても意味のある事を記事にします。
今回の記事は第一弾として主に鶴ヶ城の歴史についてをお届けします。
綾瀬はるかさん主演の平成25年の大河ドラマ「八重の桜」の舞台となったお城です。
一般的には「会津若松城」と言う名称の方が知られているかと思います。
https://heiwa-ga-ichiban.jp/oshiro/aiduwakamatsu/index.html
外観復元された赤瓦屋根の天守閣が非常に印象的ですね。
別名は若松城、黒川城とも呼ばれていました。
南北朝時代に統治していた蘆名氏が若松城を築城。
その後蒲生氏が黒川城に入り名前を黒川から若松に改名し1593年に鶴ヶ城と改名したそうです。
戊辰戦争の舞台となったお城です。
上記の写真でお分かりの通り、戦国(安土桃山)時代〜江戸にかけて様々な大名が統治してきたお城です。
やはり有名な城主としては戊辰戦争時の主であった松平容保(まつだいらかたもり)でしょうか?
個人的には伊達政宗がたった一年しか統治できなかった点がとても印象的です。
なぜならば、当時の伊達家としてはせっかく苦労して蘆名氏をコントロール・支配下に置いたのが1589年でした。ですが、その当時の日本は豊臣秀吉が全国統一を果たす寸前で物凄い勢いがあった為、伊達政宗としては秀吉の命に逆らう事ができず、泣く泣く鶴ヶ城を手放したのではないかと推測します。
そしてその後、本城の主となったのは蒲生氏郷です。彼も知る人ぞ知る知的な名将ですよね。彼がこの鶴ヶ城の生みの親とされている事はあまりにも有名な話でしょう。地名を若松に変更し城下町の基盤を作り現世に繋げてくれた名将です。そして、意外にも茶道で超有名な千家の血筋を残したという偉業もあるのです。知ってましたか?
千家の茶道を残すアクションをとってくれた功績は非常に大きい。時の権力者(豊臣秀吉)に物申せた「蒲生氏郷」という人物の素晴らしさがこのエピソードでも感じる事ができます。一説によると徳川家康も支援してくれたとか。世の中で良いリーダーシップを取れる人は政治にだけ精通しているのではなく「アート」にもしっかりとリーチしている事も分かります。これは現代に生きる我々にも当てはまる事だと個人的には考えます。
実際にこの麟閣を見学しました。このエリアだけ時がゆったり流れそして涼しさを感じながら何か第六感を研ぎ澄ませる事ができる(と勘違いさせる)空間です。とても状態が良く当時の茶室と外観そのものを感じる事ができるエリアです。実際にお茶ができるスペースもありますので茶道に精通されている方、興味がある方は是非体験しに行ってみてはいかがでしょうか?
「鶴ヶ城と荒城の月」は、日本の古典文学や詩に登場する句(俳句)です。この句は、江戸時代の俳諧師である松尾芭蕉によって詠まれたもので、彼の代表作の一つとされています。
この句は、2つの要素から成り立っています
- 鶴ヶ城(Tsurugajo) – 鶴ヶ城は、福島県会津若松市にある城で、戊辰戦争(1868年)の際に戦闘が行われ、城が焼失したことで知られています。この城が詩に登場することで、戦乱や歴史の重みを表現しています。
- 荒城(Aragi)の月 – 荒城の月は、荒廃した城(荒城)の上に輝く月の光を指します。この景色は、戦争や荒廃の中でも、美しい自然や月の光があることを示唆しています。
この句は、歴史的な出来事や風景から抽象的な感情や美しさを引き出す芭蕉の詩的な表現の一例であり、日本の俳句文学の中で高く評価されています。松尾芭蕉もこの鶴ヶ城に足を運んで感じた事を詩にしたのでしょう。感慨深いものがあります。
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平成25年(2013年)に植樹された「はるか」と命名されたこの桜は、10年たった今、立派に成長していました。私が現地を訪れたのは2023年6月だったので桜が咲く季節ではありませんでしたが、来年の春には満開の桜の花を見せてくれるのでは?と感じるぐらいの生命力を感じました。人の思いは繋がっていく。一人一人が思い続けていく事の意味を改めて考える事ができました。
今回、会津鶴ヶ城を初めて訪れましたが、良い旅になりました。
地球、人類の長い歴史の中で、今まで繋げてきてくれた方々の思い、そしてこれからの将来に向けて、今を生きている我々がしっかりとバトンを握って、次に繋げていく事の重要性を感じることができた旅になりました。心があらわれました!
次回は、お城の中、主に、城郭、門、天守閣を詳細にレポートしたいと思います。