Great_Odawara Castle_小田原城の魅力を伝えます!

神奈川県小田原市城内に位置し、どっしりと圧倒的な存在感を示す小田原城
JR・小田急「小田原駅」から徒歩10分と素晴らしい立地にも恵まれ、観光客が沢山訪れるパワースポットです。
念願叶い私は今年の2月に初めてここ小田原城を訪れてきました。
様々な時代劇の収録現場としても重宝されいる場所ということもあり、設備や道などは非常に綺麗に整備・整理整頓されていてとても気持ち良かったです! 


また老舗が沢山あって、とっても趣のある町並みになっていて犬の散歩をされている地元の方々も沢山いらっしゃいました。お城だけでなくトータルで見て大変に雰囲気の良い場所だと深く実感しました。
私はまた再訪したいと考えています。皆さんも是非いってみてはいかがでしょうか!?

小田原城初代城主は誰?

小田原城の初代城主は伊勢宗瑞(盛時)こと北条早雲です。

1495年(明応4年)、伊豆国を統治していた伊勢盛時(北条早雲)は鹿狩りと称して、相手(大森氏)を上手く出し抜いて箱根山から夜襲を仕掛け一夜のうちに小田原城を奪取することに成功しました。

以後、小田原城は「後北条氏」の関東支配の拠点として整備・拡張されていきます。

後北条氏は早雲から始まり「氏綱」→「氏康」→「氏政」→「氏直」と5代続く家格です。

「北条」という名前は結構有名なのではないでしょうか?
去年のNHK大河ドラマで放映されていた「鎌倉殿の13人」の主役の家柄は北条家でした。
ですが、この北条と小田原城主の北条とは諸説ある様で、多少の血縁関係はあるものの個人的には別家格だと考えています。巷での整理の仕方として有名なのは「北条氏」と「後北条氏」で、家紋の違いからも違いが分かります。

小田原城の凄さ(守備力)

🟠 当時最強軍団と言われていた「上杉謙信」「武田信玄」からの侵攻を防ぐ

🔴 小田原町全体を活用した惣構えで豊臣秀吉率いる総勢二十数万人の大軍を約3ヶ月間足止めさせる

特に2つ目の豊臣秀吉軍に実質何もさせなかった事から小田原城の守備力の高さが分かります。

しかも小田原の町全体を総延長約9キロの土塁と空堀で囲んでおりその規模は後に豊臣秀吉が築いた「大阪城」をも凌いだと言われています。
そして、小田原の町には当時の面影も多数残っていて、城の西側にある
小峯御鐘ノ台大堀切東堀(こみねおかねのだいおおほりきり)」は土塁頂上から深さ約12メートル、斜度50度の空堀が当時の堅城ぶりを伝えています。

史実では当時小田原城を統治していた北条氏直が豊臣秀吉に降伏し、豊臣秀吉が全国統一を成し遂げた瞬間とされています。このことからも小田原城は日本全国の城の中でも最後の最後まで粘った堅城であった事が改めて分かるエピソードです。感銘を受けます。

徳川政権時の小田原城

徳川政権(江戸時代)に入ると、初代将軍の家康は重臣の大久保忠世を小田原城主を任命します。そして、平和な世になった為という表向きな理由で過剰に高い守備力を誇る小田原城の惣構えを解体して城の規模を縮小させました。抵抗分子を少しでも無難に排除しておきたかった。これが家康の本音でしょうか。そして、次の稲葉氏の代には現在に残る総石垣造に改修され、関東の西の防御として重視されました。

天守閣

現在の天守閣は復興天守で複合式層塔型3重4階です。綺麗で圧巻の天守閣です!

別名は小峰城と呼ばれていて、城郭構造は平山城です。築城は15世紀中頃で廃城は1871年(明治4年)とされています。現在は指定文化財国史跡となっていてとても綺麗な状態で管理・運営されていて、国内のみならず海外からの観光客からも人気のスポットです。別途料金(大人510円/一人)を支払うことでこの天守閣に入る事ができます。そこからの眺望も最高です。一度足を運んでみてください!

詳しくは以下URLをご確認ください。
https://odawaracastle.com/info/

南の方です。
上記写真の通り東側から相模湾、伊豆大島、真鶴半島、伊豆半島を一望することができる素晴らしいビュースポットです。本当に気持ちがいい!心があらわれます!

本日のまとめ

小田原城の凄さ、特に守備力の高さを感じていただけましたでしょうか?南は相模湾、北は山に守られていて、そして小田原という町全体を活用した惣構え。私が当時の人間だった場合、しかも攻め込む側の大将だった場合、どうすれば攻略できるのか?かなり苦労するなと改めて実感しました。秀吉が行った「長期戦・兵糧攻め」しか方法がなかったかも!?本当に素晴らしい城ですしこれを作った後北条氏が凄い!

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